『DOGMAN』を観ましたという話

『DOGMAN』なる映画を観た。(同名の作品が複数あるらしいが、2024年に公開されたリュック・ベッソン監督の作の方である)
とても、とても良い映画であった。
犬とともに暮らしている人、犬とともに暮らしたことのある人、犬が好きである人は皆見るべき作品である。
犬が怪我をしたり命を失うシーンはないのでそこについては安心してもらって良い。
内容や感想に関してここで語ることはしないが、あえてなにか語るのであれば、犬に看取られることを心底羨ましく思った。

 

 


以下はDOGMANを観たことでやっと文章にして綴れるようになった、数年前に亡くなった犬への、ごく個人的な手紙である。
DOGMANの感想は一切含まないが、しかし、内容を示唆するいわゆるネタバレに当たるかもしれない。
もし読むのであれば、できればDOGMANを観てから、読んで欲しい。

 

 

犬よ。
君が家に来るかどうかというときに私は乗り気でなかった。
犬よりは猫が好きだったからだと家族に言っていたが、実際のところは、小さい命への責任が持てなかったからだ。
たとえその一端であるとしても、命に責任を持つことは私には重かった。逃れたかった。あるいは、他の皆が迎え入れると言ったからという建前が欲しかったのかもしれない。
ともかく、どこかの家の床下で拾われたという触れ込みで、幼い君は双子の姉とともに私の家に訪れた。

 

犬よ。
我が家に迎え入れられた命よ。
はじめ、私は君と積極的に関わることはなかった。猫のほうが良いと表明していた手前、家族の前で仲良くすることが気恥ずかしかったし、接し方もよくわからなかった。
けれど手を差し伸べればいつまでも舐め回してきた姿を、抱きかかえれば大人しく腕の中に収まり撫でられ続けてくれた姿を、時たま散歩に連れ出せば意気揚々と私を引っ張ってひっつき虫の茂みに飛び込む姿を、大変に可愛いと思っていたのだ。
必ずしも良い隣人ではなかったであろう私をも慕ってくれた君の優しさが、私は後になってようやっと分かるようになった。

 

犬よ。
天災に見舞われ同胞を失ったものよ。
それが起きてから何日か経ってようやっと無人の我が家に帰り着いた私が見たのは、動かなくなった君の姉と、皆が避難し誰も居なくなった我が家で、鎖に繋がれたままどうにか生き延びていた君の姿だった。
水とありあわせの食料を供したところで気力がつき、他に禄に世話をしてやれなかったことを私は後悔している。一緒に眠るくらいのことはしてやるべきだったと今でも思っている。
それでも。私が家に戻っていなければ君はどうなっていただろう、と思うのはきっと驕りなのだけれど。君が生き延びた理由の何割かは、きっと私にある。
私の手の届く限り、君に幸福であってもらいたいと強く願うようになったのはその時からだ。

 

犬よ。
君を散歩に連れて行こうという意思に何より敏感だったものよ。
散歩道、君の歩みたいように歩んでほしかった私は、分かれ道に出会う度に君が進みたい道を選ばせ、それに付いていった。君が走ろうとしたときには、体力の続く限り私も走り続けた。
時に君は道なき道へ進もうとしたが、それでも私はできるだけ付いていった。降り積もる雪の中へ果敢に分け入る君をサンダルで追いかけたときも、全く苦ではなかった。
君が進みたい方へ私は付いていく。君の行きたいところへ向けて共に歩く。それが私には嬉しかった。
晩年、君が階段を登ることができなくなった時には、抱えて階段を登るよりも遠回りして緩やかな坂道を案内した。散歩は君のものであるべきで、誰かの手を借りることなく、君自身の脚で終始歩むべきだと思ったからだ。
私がそうであったように、並んで歩を進めることを君も楽しいと思ってくれただろうか。

 

犬よ。
君が私に忠誠心を抱いていたとは思わない。
名前を呼んでも寄ってくることは無く、お手と言って伸ばした手をただべとべとになるまで舐め尽くし、おやつを手にした時だけは察しよく私に傅いた。
それで良かった。
時々私は君を、皆から呼ばれる名前ではなく、ただ「いぬ」と呼んだ。きっと君は混乱しただろうが、どうか許して欲しい。私だけが使う呼び名が欲しかったのだ。私の手を舐め回すものが君しかいないのと同じように。
私は君の主であろうとは思わなかった。友であろうとも思わなかった。対等でいたかった。辞書にあるどんな言葉にも定義されない関係として、ただ私と君でありたかったのだ。

 

犬よ。
君の死に目に会うことは叶わなかった。
けれど君は。動かなくなっても毛並みの美しさは変わること無く、記憶の中のままの触り心地で居てくれた。舐めてくることも、体重をかけてくることもなくなって、けれど撫でれば生前と変わらない柔らかさが返ってきた。その優しさを私は、生涯忘れることはないだろう。
夏は暑く冬は寒いおおよそ生きるに向かない地で、夏はへばり冬は震え、年中毛変わりしながら、よく永く生きた。
幸福な一生であっただろうか。そうであったなら。そしてその幸福のうち幾許かでも、私の力であったなら。それは私にとってこの上ない幸福だ。

 

犬よ。
君はその生涯を通して、そしてその命尽きてからも、私の世界を広げてくれた。たくさんのことを教えてくれた。だから君に再び会って、心からの感謝を伝えたいのだ。
いつかそうできるときが来るようにと、心から祈っている。

 

犬へ。心からの親愛と感謝を込めて。